「あいうえお五十音図」の創始者

Founder

明 覚

 (読み) みょうかく みょうがく、めいかく とも

(生没) 天喜4 年(1056 年) - 嘉承元年(1106)?没年不詳)

平安時代(794-1185)後期の僧で、比叡山延暦寺に入って天台宗を学ぶ。
天台密教の大成者である安然に付いて悉曇学を修め、後に加賀国(石川県加賀市)の温泉寺(現在の山代温泉・薬王院温泉寺)に移り、住職となる。

著書に、「悉曇要訣」「梵字形音義」のほか、38 歳の時に著した「反音作法」(1093 年)では、仮名による反切の方式を述べ、現存する最古の「五十音図」を示している。漢字の中国音やサンスクリット語に精通した非常に優れた学僧で、後世には悉曇学の祖と仰がれた。

  • 平安時代の僧、明覚が示した最古の”反切の法”
    明覚上人は、自身の著書において、漢字の字音を表すための手法である「反切」を提唱しました。これは、同じ子音を同じ行に、同じ母音を同じ段にまとめる「仮名反」と呼ばれる手法で、現在も使われる「五十音図」の原型を示しています。

    彼は漢字音を独自の規則に基づいて整理し、独自の反切や「u」と「ug」の区別、連濁などの規則を記述しました。
    この音義は後に「明覚三蔵流」と称され、和訓が加えられて広まりました。

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